島田大祭を考える

第110回島田大祭が10月8から10日の3日間盛大に開催されました。このコロナ禍でありましたが、いくつかの制約はあったものの伝統を崩すことなく行われました。島田の大祭は、大井神社の祭礼として元禄8年(1695)から始まり、3年に1度開催される今に続く由緒正しい伝統の祭りであります。大名行列、大奴に続き神輿、鹿島踊り、そして屋台と御渡り行列が続きます。大井神社を出発し、旧宿場町(本通り)を御旅所まで練り歩きます。今年は、この御渡りの日(10日)、午前中が雨天のため午後からの御渡りとなってしまいましたが、午後からは天気も回復し無事大祭も終わることが出来ました。大祭では参加できる地域(町)が限定されており、本通り1丁目から7丁目までの各町とその裏にある脇町に原則限られてきました。1丁目から5丁目までは屋台、6丁目は鹿島踊り、7丁目は大名行列を担うことになっています。祭りを仕切る青年長は、本通りの各町内から選ばれています。私は南町出身で、南町は6丁目の脇町となっており鹿島踊りを担っています。13歳(中1)の時、鹿島踊りを鼓の一人として踊りに参加しました。また、20代では青年として祭りの運行にも参加させていただきました。良き思い出であります。その当時は、各町内には大勢の若者や子供たちが住んでおり、人手不足は話題にもなりませんでした。しかしながら、最近では少子化が進むとともに、本通りやその裏の区画整理事業により昔からの住人が転居したりで若者や子供たちの数が極端に減少し、祭りの運営に支障きたしているとの声を聞きます。地元の町内では人が足らず、市内の他地域から応援をいただいているのが実態のようです。私の長男も相賀の住民ではありますが、前回第二街の会計長として三役を務めました。また、第二街の屋台を引っ張るのは相賀の青年たちでもありました。これは二街の屋台だけでなく、多くの屋台や行列で他町の若者が手伝っています。島田大祭は参加は市街地の住民、周辺地域の住民は観る人と思われていました。しかしながら、実態として伝統ある島田大祭をこれからも続けて行っていくには、島田市民、全員で盛り上げていく必要があると感じています。今回、市長の意向により自治会にも理解してほしいとのことから、自治会長が招待されていました。今後については、島田市全体で大祭を盛り上げていくことが大切だと思います。伝統を継承していくことも大変重要とは思いますが、社会構造が大きく変化する中では、必要に応じて伝統を変えていくことも寛容かと思いました。

日本三奇祭由縁の大奴
若手議員も神輿を担ぎました
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